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Contigo al fin de mundo.
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04/19
2008 Sat
Die Welt des gesunden Menschenverstandes von einer Lücke wird schön sein.
(常識はずれの世の中は綺麗なんだろうさ)



想像してごらんよ。
何もかもが自分の思い通りにいって、人を罵倒しようが殴ろうが殺そうが何の罪にもならなくて。
まるで自分がこの世界を思い通りに動かしているかのような錯覚を覚えて。
麻薬のような陶酔感を抱きながら過ごす世の中を。
その響きは甘美なようにみえて、実際は有象無象ばかりのつまらない世界だ。
確かに一度や二度は自分の思い通りに事が運べばいいと思うだろう。
それこそ、テストの内容が受ける前に分かるとか、信号待ちをしなくてもいいとか、嗚呼もう消えてしまえばいいのにと人を疎んじたりとか、私を好きになってくれればいいとか…。
例なんていくらでも出てくる。
掃いて捨てるほどにね。
人間っていうのは複雑なように見えて本当はひどく単純な生き物なんだよ。
根本的に考えることは皆、同じ。
自分の“シアワセ”だ。
その“シアワセ”の形が何であれ、人間の世界で定義する幸せを手に入れることを何よりも渇望している。
人ごみの中で自分以外は皆消えてしまえばいいのに、と思ったことはない?
要はそれは自分がテンポ良く進むという“シアワセ”が故の考えだ。
そしてそういうことを考えているのは自分一人ではなく、この世の中で人ごみに紛れてしまった者全てが考える内容でもある。
これが大袈裟だと思うかい?
まぁ、仮にそうだとしても私は全然構わないんだけどね。
そうそう、一連の内容に関連して一つ。
この内容は一度、別の場所で話しているから知っている人も中にはいるかもしれない。
誰だったかこの世の中にいる全ての人間の中で、無意識を共有している人間が100人いると言った者がいた。
けれどそれが何になるというのか。
そんなものを知っていて、すれ違いざまにあの人は自分と同じことを考えている、と分かるか?
答えはもちろんノー。
くだらない、嗚呼なんとつまらないものだろうか。
つまるところ自分さえ良ければいいという基本概念を持ちながら、他人に自分の居場所を求めて。
茶番だ、三文芝居だ、戯言だ。
人間という存在そのものが。
別に私は厭世主義者でもないし、かといって楽天主義でもない。
ただ、自分が身を置いているこの世界に対して失笑、いや嘲笑と言ったほうが適切だろうか。
何にせよあまりに退屈な日常を送るこの場そのものと、自分を含む“シアワセ”の奴隷の人間が疎ましくて仕方がない。
そんなこと口に出して言えないけれどね。
もはや私にとって、人間の感情を表す喜怒哀楽でさえ義務と化した。
自由を望みながら不自由と共に過ごして安堵し、群れていなければ恐怖で立ってさえいられない。
そんな哀れな存在と共に過ごすこの日常に、虫唾が走る。
消えてしまえば良かったのに。
ノストラダムスの大予言で右往左往した、あの時の愚かな世の中全て、あの時に。



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