Contigo al fin de mundo.
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07/31
2008 Thu
Anche la felicità c'è neanche l'infelicità nel mondo. Ma, diventa anche a come con un pensiero.
(世の中には幸福も不幸もない。ただ、考え方でどうにでもなるのだ。)



特にこれと言って何かがあった訳でもないんですけど、今日で7月が終わってしまいます。
毎月毎月最後の日に言ってますが、年を追うごとに月日が経つのが早く感じます。
でもこれってすごく惜しいことのような気がします。
「今日という日は二度と来ない」とよく言われますが、その尊い一日があっという間に過ぎていくように感じるということは、その日を大事に出来ていないということなのでしょうか。
その日、その時、その一瞬の輝きを私は見逃してしまっていることなのでしょうか。
ふと、そんなことを考えました。
かと言って別に一日を惰怠に過ごしている訳ではないので、生物学上の問題なのでしょうが。
それでも幼かった時よりも知覚できる範囲は広がっても、世界は狭くなったように思えます。
具体的に説明しろ、と言われると何とも難しく抽象的にすら言葉に出来ないのですが…。
どうにも頭が固いらしく、哲学的な考えを好みがちな私が故の発言と思って黙殺していただければ有り難いです。
何はともあれ、この世界に生まれ出でてからの年月。
それこそ忘却の彼方へと飛んでいってしまった記憶も多々ありますが、私が思い出せないだけで“私”という人間は何一つ忘れることなく、全てを覚えていると思うんです。
何の科学的根拠もない妄言ではありますが、私はそう信じて疑いません。
私という存在なんて世界と定義されるものからすれば取るに足らない存在です。
歴史に名を残す偉人のように何か後世に伝えられることなんて何一つありません。
けれど私という存在を表現する存在として“私”があります。
私を含め誰も知らない、
私を含め誰も覚えていない、
そんな細やかな私の生きてきた道筋を記録している唯一の存在として“私”がいる。
それって素敵なことではないでしょうか。
「自分が生きていたことを知っている人がこの世に誰もいなかったら寂しい」という方々がいますよね。
決して否定する訳ではありませんが、私とこの方々は考え方を含めきっと相容れることはないでしょう。
別に先祖供養をなどしなくていいとか、愛していた人たちのことを忘れろとか、そんなことを言っている訳ではないんです。
ただ、それにどれほどの価値があるのかと。そう疑問に思うだけなのです。
先祖供養等々は今生きている方がすることであって、亡くなった方がやるものではないじゃないですか。
「自分が生きていたことを知っている人がこの世に誰もいなかったら寂しい」と口にする方は決まって「だからあの人も覚えていてあげなかったら可哀相」と続ける。
まぁ、稀にそうじゃない方もいますが、それでも圧倒的多数がそう言うんです。
何故ですか。
もう亡くなってしまってその意思を聞くことなど不可能なのに、どうしてそう言えるんですか。
自分の価値観とその人の価値観が同じであるとも限らないのに。
そもそも同じであるはずがないんですよ。
家庭環境、今まで過ごしてきた時間、何もかも違うのに。
仮に双子でそれら全てが同じだったとしても、個人としては違うじゃないですか。
物の見方が違うことなんて火を見るより明らかなことでしょう。
だから亡くなった人から見た自身のことと、今生きている人から見た亡くなった人のことは違うんですよ。
どんなに近くにいたとしても、同じはずがないんですよ。
だからこそ、覚えていてもらうこと、覚えていてあげることにどれほどの価値があるのか私には分かりません。
“私”が私を覚えていれば、それが何よりも私が存在した証になるのではないでしょうか。
…何だか書いていてよく分からなくなってしまいました。
どうしてこういう話になったんだろう。
まぁ、いいや。
きっとそれさえも“私”が覚えているだろうから。


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07/28
2008 Mon
Hay el caso que todos son correctos sin admitir
(誰もが認めない正しいことがある)



…もう、勘弁してください。
母が先週の金曜からお葬式等々で実家にお帰りになられているので、家事は全て私がやってます。
いや、別にそれは全然構わへんのです。
ただ弟二人の狼藉に腹が立つのなんの。
人が掃除機をかけている横で食べ零しをして。
この暑いなか火を使って料理しているのに「メシまだ?」とか言って。
洗濯物終わったと思った瞬間に服を脱ぎ捨てて。
「手伝って」の一言を言ったが最後、「え、何で?」と返される始末。
彼ら二人は私を専属の家政婦か何かと勘違いしてるんじゃなかろうか。
この数日、殆ど勉強できてないんですけど。
私、受験生!大学受験!この夏、超大事!
そんな叫びも誰にも届かず。
その上、今日は朝から学校に行ってたのですが、なんとお昼前後から滝のように雨が降り、雷が鳴り…。
午前中で私が取った講座は終わっていたので帰ろうと思ったにも関わらず、傘を持ってきていなかったので15時まで留まる羽目に。
それはそれで学校で勉強できたのでいいんですが、それよりも私は朝に干してきた洗濯物がお釈迦になってしまったことに対するショックでしばらく凹んでました。
こんなことなら家の中に干してくるんだった…と遠い目をしていたら先生や友達に「主婦か!」と鋭くツッコミを入れらた次第です、はい。
先日、部活を引退した弟1が気付いて取り込んでくれてないかなー…なんて淡い期待は脆くも砕け散りました。
(そもそも電話した時に出なかった時点で諦めてましたけど…。)
当然、それらの衣服は洗い直しです。
でも、さっき雷の影響で洗濯機が止まってしまったので雷が止むまで放置です。
実はパソコンに触るのもビクビクしてたりします。
感電したら嫌だな…。
…あ、大雨洪水警報と雷注意報が出てる。
うわ、疏水で人が流されたっていうニュースが…!
ちょっと恥ずかしかったけど学校帰りに夕飯の買出しして良かった。
こんな状況で外には出たないわ…。

そんなこんなでそろそろ濡れて帰ってくるだろう弟2の為にお風呂等々の準備してきます!
追記は拍手お返事です。
07/16
2008 Wed
Sorgt jetzt wird verschwinden in einem Jahr.
(現在悩んでいることは一年後には消えてしまう)



学校が休みなことをいいことに出かけたら観光客にがっちり捕まった。
「祇園祭って、どういう風に見たらいいですかー?」
なんてハタチ前後のお兄さん、お姉さんに聞かれたので
「へぇ、祇園さんどすか。こん暑いんによう行かはりますなぁ。ほな、四条から上がったらどうでっしゃろ。鋒巡行は17日やさかいに置いとるだけやけど、それでも立派なものや思いますわ」
って答えたら…あ、私の常の話し方ってこんな感じなんです。
なんちゃって京都人です。
いや、それはおいといて。
そのお兄さん、お姉さんたちは目を真ん丸くして
「オセンだー!!」
と言わはりまして。
オセンって何?と首を傾げてる私をよそにもっと喋って!とねだられる始末。
結局、別に用もなかった私は四条までの道のりをご一緒することに。
その間にオセンの説明をしてもらったんですが、ドラマらしいですね。
料亭の女将で蒼/井/優(漢字あってる?)が演じた役に話し方がそっくりだったそうです。
すみません、なんちゃって京都人で…と申し訳なく思ってたんですが、それでも嬉しそうに話し掛けてきてくれはったんでいいことにします。
あれよあれよとメアドやケータイ番号まで交換してしまったというミステリー…。

07/15
2008 Tue
El mundo es cultivado por hombre y una manera predilecta.
(人間、好きな道によって世界を切り拓いていく)



本日で三年、一学期の授業が終了!
明日から謎の三連休を経て土曜日に終業式です。
いや、もう三連休とかいらないんで明日終業式してくださいって感じですね。
しかも私を含めたうちのクラス全員、何の理由で休みなのか知らずに休むっていう…。
その上、終業式に成績返ってこないしね!
夏休み入ってからある三者面談で渡すって…え、親にも見せんの?みたいな。
成績内容をどう説明(という名の言い訳)しようか考えさせてもくれないのね、先生。
別にどうでもいいんですけどね。
取っちゃったもんは変えようがないですし。
何だかもう、勉強関係の話しか出てこなくて全然おもんないし書くの止めます。
読んでて辛い(私が)

07/13
2008 Sun
Puisque c'est bon dans une ligne, ne rien partir.
(行ってもいいから、何も残していかないで)



目前に夏休みが迫ってきてようやっと受験生としての自覚…ってか焦りが出てきたっていうね。
あかんとは思うんよ、この緊張感のなさ。
せやけど元来の性格というか何と言うか、問題が緊迫するまでほったらかすのが私やったし。
今更急に変われるか言うたらそうでもないしな。
もう最悪、明日発表の指定校推薦の枠見て進路を年内に決めてしまおかとか思ってみたり。
…いやいや、でもこの時の頑張りが将来に繋がるしやっぱ頑張ろう、うん。
凹んだら慰めてな?(誰に言ってるんだか)

話は変わってこれまた緊張感のないうちのクラスの話。
驚いたことに三年間で初めて合唱コンの朝練をしているんですよ。
あ、ちなみに曲は19のあの紙ヒコーキくもり空わってです。
古い」とか言わないでください。
…え?」とか言わないでください。
うちのクラスの愉快な仲間達は少々、周りが見えてないんです、はい。
まぁ、私はピアノ伴奏だから別にいいやーって賛成した奴が言えることじゃないですけど。
そんなこんなでピアニカまで持ち出して練習してる訳ですが、一向に上達の兆しが見えないんですよね。
しかも課題曲ほっぽりだしてまでやってんのにですよ。
皆、どんだけ音楽センス無いの!?みたいな。
いくら音楽が選択で、なおかつ今年しかなくても今まで何回も経験してるでしょ!
…と言いたいのは山々だけれど、あえて黙っとく。
これ以上の亀裂は卒業まで耐えられそうにないもの。
もう少し、お互いに譲歩することを覚えたほうがいいと思うのよね、私。
きっと将来困ると思う。
世間にいる人皆が私みたいに「うん、そうだねー」って同意してくれると思ったままだなんて可哀相すぎる…!
とは言っても私がいつもいつも他人の意見に流されてる訳じゃないけどね。
伊達に三年間このカオスなクラスを表面上、一つに纏めてた訳じゃないのよ。
室長として日々奮闘して……あ、涙出てきた、やばい、客観的に見て私可哀相すぎる。
私の青春、ゴミ箱にぽいぽいのぽいじゃないですか。
嗚呼、戻らぬ私の高校生活…。

07/09
2008 Wed
Por ejemplo, lo que es necesario es justo también borrar mi cuerpo para que todo pueda ser borrado con un borrador.
(たとえば消しゴムで全てを消してしまうように、わたしの体も消してしまえばいい)



七月も七夕を過ぎてあれよあれよとテストが返ってきてます…。
びっくりしたことにノータッチで臨んだ宗教が97点でクラストップでした。
他の教科でこの記憶力を発揮したかった…。

それはそうと、リアタイ日記にも書きましたが今日はうちの学校の野球部の応援に高校三学年+バトン部&吹奏楽部で行ってきました。
…暑かった。
まぁ、結果はコールド負けだったんですけど…。
あれですよ、リアルおお振り!
にしうらーゼとまんま同じシチュエーションだったわけですよ!
創部一年目、部員一年(特進)のみ、人数十人。
もうそれだけで萌える。
やっぱり漫画のようにはいきませんね。
相手は強くもなく弱くもなく、といったところだったのですが…。
メディアにも注目されていたらしく、午後の授業を潰してまで応援に行かされた身としましてはせめて一点くらい取って欲しかったなとは思いますね。
まぁ、致し方ないのでしょうが。
それでも、頼りなさげな背中越しにすごい頑張ってることが分かっただけでもヨシとします(何様だ)
野球部はとりあえず部員を増やして、来年・再来年には今日以上のいい試合ができるようになってほしいです。
見てないでしょうけど、野球部の皆お疲れ様!これからもっともっとガンバレ!
君らは伸び盛りだ!
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